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#51 遺心伝信 第11稿 ~具体性~ & 壁紙 作ってみた☆

壁紙01
(入院中、比較的元気な時はとにかく暇で暇でしょーがない。だから、今まで撮りためた写真を使って、壁紙を作ってみた。なかなかお洒落にできたのではと自己満してる。これは、陸撮①横構図)

理想を語ることは大切だ。ただ、いくらすごい理想を語っても、「考え」だけでは飯は食えない。
精神的な部分だけでなく、これだけは負けないという具体的な能力・実力も必要だ。
具体性がなければ、所詮口だけとなってしまうこともある。
内面も具体的な力と相互に補完し合い、支え合ってこそ。
それが僕にとっては、「論理」と「受験英語」。


壁紙02
(陸撮②縦構図。気に入った方は、クリックすると大きな画像が出るので、それを保存して、壁紙にでも使ってくれさい。)

 今まで続編、番外稿を入れて12稿書いてきたが、残りいよいよ3稿となった。結果15稿書いたことになるし、キリもいいのでそーしよーと思う。あと3稿です!自分で勝手に始めたことだったけど、思った以上にしんどくて、でも思った以上に反響があって、色々な刺激を吸収できたし、刺激を与えれたかな~と思うとやっぱり書いてよかったと思う。まー、まだ終わったわけじゃない。最後まで頑張れ俺。
 今まで色々語ってきたが、精神的なこととゆーか、頭の中のことが多かったと思う。もちろん、頭の中の「考え」を使って日々生きていくわけだから、実用的と言えば実用的なんだけど、やはりそれだけでなく、自分にも相手にも目に見える形で示せる「具体性」が必要だと僕は思う。(無論、全てがそうではないけれど。)
 「あいつ偉そうなこと言ってるけど、結局何もできてないじゃん」と言われるのは、嫌だし、ダメだと思う。言動一致はなかなか難しいけど、それを目指さなきゃって。「考え」だけで飯が食えるのは、一流の思想家や評論家、小説家など極々限られた人達で、(もしくは、マスコミの中でもしょうもないことで大衆をうまく騙して踊らせている人達で、)僕は頭でっかちと言っても、そこまで朝から晩まで毎日毎日一つのことを考えていられる性分も能力もないし、考える内容も、人が考え付かないことや、多くの人を納得させられるようなものでもない。となると、「考え」を披露するだけで、飯が食えるわけではないのだ。
 自分なりに頭で考えに考え抜きながらも、やはりそれだけではなく、「具体性」が必要だ。それが僕にとっては受験英語だ。所詮「受験英語」と言ってしまえば、確かにそうだし、大学教授やある分野の専門家からすると僕なんかはなんの専門も持たない、取るに足らない人間ではあるけれど、でも、その所詮「受験英語」をどれだけわかりやすく、論理的に教えるかが僕とっての具体性であり、生命線であるのだ。君たちが、僕の授業をどう評価するか、それは人それぞれではあるが、僕はおおむね高評価を得てきたと思うし、自分で納得もしている。もちろん自分の理想とするものにはまだまだ程遠いし、これからももっといい授業をしていきたいと思っているが、今できる範囲では僕は決して手を抜かなかったし、今できる上で最高のものを出してきたつもりだ。
 僕が英語の授業で大切にしてきたもの。それは「論理」。つまり、遺心伝信を通じて常に言ってきたことを、僕は授業で実践している。英語の授業と離れた普段の生活や、精神的な部分で論理の大切さを主張しておきながら、授業になると、知識の詰め込みや暗記ばかりに頼っているとしたら、授業と普段の考えに溝があることになるし、大きな矛盾が生ずる。
僕の授業を受けてきた生徒ならわかると思うが、僕が常に君たちに求めてきたのは、知識をどれだけ持っているかよりも、どれだけ頭を使っているか、なんとなくではなく、しっかりとした筋道を立て、論理的に考えているかである。だから、僕は授業中、どれだけ君たちの体や口を動かすかではなく、どれだけ君たちに頭を使わせるかということに念頭を置いて授業をしてきた。このコミュニケーション英語が重視されている時代にである。なぜか?
 それを説明するには、多少僕の過去のことを話す必要がある。
 僕は昔から英語が得意だったわけではない。というか、今でも話したり、聞いたり、書いたりというのは、決して得意ではない。高校教師としては月並みだろー。ただ、受験英語で最も重視されている長文読解だけは、はっきり言って超自信がある。それは自分が解くことも、教えることもである。(かと言って、英語教師としては、話す、聞く、書くがこのままではいけないので、今弱点克服を画策中だ・・・まだまだ。)
 僕が高校時代に習った受験英語というのは、とにかく知識の詰め込みだった。どれだけ単語、熟語、構文を知っているか。とにかくそれが重視された。努力と根性の世界だ。たくさん覚えてれば、点数が取れるテスト。頭なんてほとんど使わない。がむしゃらに覚えればそれでいー。文法だって、文法問題を解くためのものであって、決して文章を論理的に理解するために活用するものではなかった。(後で述べるが、僕は知識を軽視してるわけでは決してない。)はっきり言って、つまらなかった。英語って完璧暗記科目だな~って思っていた。だから勉強しなかったというのは言い訳だけど、でもつまらないのは事実だった。今でもあんなのは勉強じゃないと思っているし、あんなことを押し付けるのは、当時の教師自身が実は受験英語というものをわかってないからあーゆー教え方しかできなかったんだろうな~と思う。
 そして、僕は決してその教師のせいではなく、自分自身が全く勉強をしなかったせーで浪人した。(これは皮肉でもなんでもない。ホントに遊びに遊びまくっていたのだ。)僕は浪人時代に通った「代ゼミ」で、現在もカリスマ講師である富田一彦という講師に出会って、今まで習ってきたものが全然受験英語ではなかったということを知った。富田さんは、あいまいではなく、常にはっきりとした筋道を立て、論理的に受験問題を解いていた。「英語ってのはこーゆーもんだ」とか、「文脈で」、「前後関係で」とかあいまいな言葉でごまかすことなく、問題に解答するのに、常に限られた文法的な知識を最大限活用して、明確な筋道を僕らの前に提示して、解答を導き出しただから納得できた。あ~!そーゆー論理かー!って。それからは、英語の勉強が楽しかった。僕は私立文系コースで、英語、国語、世界史、小論をやっていたけど、いつも英語の勉強ばかりしていた。単語も覚えたし、文法も高校入学レベルからやり直した。それは決して知識を重視したからではない。論理的に考えるのにも、最低限の知識は必要だったし、論理を使うには、これだけの知識は必要だなと思えれば、知識を頭に入れるのは苦痛ではなく、むしろ、この文法を理解すれば、この論理が使えるぞって思えて楽しかったのだ。
 話が抽象的になってしまっているが、僕の英Ⅰの授業を理解している生徒ならわかるね?てゆーか、わかれよ 笑。だから、僕の受験英語に関する考え方はかなり富田さんの影響を受けている。場合によっては、パクリだとか、受売りとか言われるかも知れないが、僕自身は彼の考え方を全てではないにしろ、理解し、消化し、自分の考えとしているつもりだ。
 過去の話が長くなったが、本題に戻ろう。このコミュニケーション英語重視の時代に、僕はなぜ受験英語の大切さを主張し、自分の受験英語に対する取り組み方を正しいと主張するのか?それは、「受験英語」、もっと言えば、学校で学ぶ「英語」というのは、「論理的思考」を鍛えるためのものであるからだ。英語に限ったものではない。家庭科や芸術科目、体育などの実践的な教科は別として、国語だって、数学だって、理科だって(社会は、元々はそうだったのだろうが、残念ながら今の受験問題は論理よりも知識に偏り過ぎている気がする。)、「論理」を学ぶために君たちは勉強しているのだ。じゃなきゃ、日常生活では決して使用しない数学の数列も必要じゃないし、物理の法則を学ぶこともない、古文だって普段の会話で使わない。他の教科は専門ではないので、これ以上は言わないが、英語だって実は同じ。僕の考えでは、学校で学ぶ英語は「教科」であって、「言語」ではない。「論理的な思考を訓練する素材」であって、「外国人とコミュニケーションをとるためのツール」ではない。
 英語は、他の受験科目に比べて、実用性が高そうに見えるのですぐ、学校教育を実用教育と混同して、話せない英語はダメだとか言って、コミュニケーション重視に流れるわけだけど、この日本において英語は、実は実用性は決して高くないのだ。君たちは英語が話せなくて、ものすごく苦労したことはありますか?日常生活で、化学の元素記号を知らなくて、大変な目に遭うことがないように、英語が話せなくて困ることなどほとんどない。日本には日本語というものがあって、日本中どこでも日本語で生活できるし、社会的に成功することもできる。英語が話せたら、それは便利なものだし、僕だって英語が日常会話程度できることで得したり、新しい考えや情報を吸収することができるので、多少でも英語が話せてよかったと思うことはあるけれど、日本人全員が話せなければいけない、というのは嘘であって、必要のないことだ。日本人の中で、英語が話せなければ、日常生活上非常に困るとか、仕事上絶対必要だという人は、おそらく3%とか5%とかそんな割合だろう。
 それよりも君たちが大人になっていく上で必要なことは、「論理的思考力」だ、と僕は強く思う。なんとなくこーだと思う。というあいまいな判断ではなく、こーゆー理由でこーゆー結論である、という論理的な判断を組み立てる力。
 究極的に言えば、英語のコミュニケーション能力も論理的思考力も、生きていく上で必要不可欠かと言えば、実際、両方なくても生きている人はたくさんいるわけだから、必要不可欠とは言えないが、どちらか一方を選ぶとすれば、圧倒的に論理的思考力の方が、この日本においては大切だろうと思う。例えば、僕に関して言えば、僕の努力不足も一役買っているが、ロンドン留学から帰ってきてすぐは、かなり普通に英語で会話ができていたのに、今では日常会話にも詰まりまくる・・・あんなに金を出したのに・・・悲。それはなぜか。英語教師といえども、日常的に英語が必要ではないからだ。一般の人ならなおさら必要ない。それよりも僕はイギリスで学んだ合理的な考え方や個人主義の方が、毎日の生活によっぽど役に立っているし、ありがたいと思っている。
 じゃーなぜ、こんなにコミュニケーション英語や実用的な英語が重視されるのか。それは産業界(財界や経済界、つまり企業)からのプレッシャーが一つの大きな原因である。企業が新入社員を雇うとしよー。頭も良くて、英語もペラペラが理想だが、なかなかそうはいかない。だから頭の良い人間を選ぶ→でも英語はできない→でも、仕事で英語は必要→会社の金と時間を使って社員を教育しなければいけない→もったいない→中学、高校、大学の段階で英語を話せるようにしといてくれ→文科省へのプレシャー→実際の教育現場(=学校)でコミュニケーション重視になる。こーゆー論理だ。
 もちろん、国際競争力としての国力を考えると、できるだけ多くの人間が英語を話せたら、それは企業としても、国としても強いかもしれない。でも、例えそうなったとしても、実際に英語が必要な仕事に就く人間はそんなに多くいないのだ。それ以外の人達はどうなる?論理もへったくりもなく、頭は使えないけど、とりあえず英語だけ話せる。そんな人間、アメリカには腐るほどいるよ。だってアメリカ人はほぼ全員英語を話せるんだからね。例え英語が話せたって、話の内容がちゃらんぽらんなら、それは話せるとは言わないし、「自分の言葉」ではないのだ。内面と具体性は両方あってこそ光るんだ。僕は、現在の日本のコミュニケーション英語重視は、分母の数(=英語が話せるようになるかもしれない可能性のある人間の数)を増やすことによって、分子の数(英語が実際に話せるようになり、仕事上必要となる人間の数)を増やそうとすることだと思う。分子になることができた人間はいい。分母になってしまった人間は踏み台か?それはおかしいだろ、と思う。
 付け加えれば、言語体系が全く違う日本語を話す日本人が、週に4時間とか5時間英会話の授業をやって、英語が話せるようになるのであれば、そりゃ楽だ。でもそんなはずがない。(かと言って僕はコリーンの授業を無駄だと思っているかと言えば、そうではない。むしろ大いに認め、賞賛している。なぜなら、彼女の授業は、日本人が最も不得意とする創造性というモノを刺激し、無理やりにでも引き出そうとするものだからだ。僕の授業は、自由に頭を使わせて、論理的に考えさせるものだけど、結局正解は一つで、その正解に引き寄せようとする授業だ。コリーンの授業には正解がないことが多い。だから素晴らしい。もっと自由に考え、何でも言いなさい。)
 結局本当に英語が話せるようになりたければ、自腹を切って、英語が必要不可欠な環境に身を置いて、苦しみながら、恥をかきながら、必死に学ぶしかないのだ。こんな簡単なことが分かってない方がどうかしてると思うのは僕だけだろうか。
 だから、何度も言うが、「論理」が大切なのだ。英語という「教科・素材」を使って、論理的思考力を磨き、その後の人生で直面するであろう、現実の問題に論理的に対処する。これが英語を学ぶ最大の目的だと僕は思う。受験英語、特に僕が得意な長文読解は、そのような論理的思考の訓練には、非常に有効な素材だと思う。一般に受験英語は、単語や構文、文法などの知識をできるだけ多く詰め込み、反復し、覚え、その知識を利用して、問題を解くものと考えられているが、それだけでは決してない。知識ももちろん必要だが、それは論理的に考えるための必要条件であって、東大を始めとする旧帝大系の国公立大学や、早慶上智などの私立大学などいわゆる難関と言われる大学の受験問題が示しているが、大学側が求めていることは、どれだけ知識を持っているかではなく、限られた単語や文法知識を活用して、いかに頭を使い、論理的に考え、答えを導き出せるかということだ。
 それを知識だけで勝とうとするのは、お世辞にも効率的な方法とは言えない。知識は裏切らないと思いがちだが、はっきり言えば裏切りまくる。使わない知識までむやみやたらに覚えることは、その知識自体が無駄なこともあるし、その知識を覚えている時間が無駄なのだ。受験まで無限に時間があるわけではない。いかに効率的に、労力を使わずに相手に勝つか、それが重要なのであって、根性で覚えろ、時間をかけるのが努力だというのは、間違った根性論で、犬死にするか、もし勝ったとしても、無駄な努力をしたことになり、君たちの大切な高校生活を浪費することにもなるだろう。
 憎まれ口ついでにもう一つ言っておけば、赤本などの問題集の類も簡単に信用してはいけない。答え自体が間違っている場合もあるが、それよりもひどいのは解説だ。もちろん紙面上の容量の問題もあるので、丁寧に解説できないからいい加減な解説になっている場合もあるが、赤本などは、はっきり言ってひどい解説がゴロゴロしている。解説者本人が問題の意図を分かってないで解説しているのが透けて見える場合がかなりある。特に「前後関係で」・「文脈で」という表現には気をつけなさい。君たちが理解するべきなのは、その文脈が具体的にどーゆー論理でつながっている、または逆になっているかであって、それを「文脈」という一言で片付けられてはたまったものではない。解説者本人が根性主義でやってきて、それなりにやってきているので、自分の教え方を反省することなく、見当外れな解説をしているのだ。
 僕が高校の頃から流行っている多読とか速読にも物申す。多読・速読とは、細かい部分がわからなくてもザーッと読んで英語に慣れるとゆー手法。確かに慣れるかもしれない。簡単な文章は早く読めるようになるかもしれない。でも受験問題は「なんとなく」で、分かる問題はほとんど出ない。難関大学の問題でも、文型などの文法論理や、接続詞などの文章論理をしっかり理解していれば、実は単純な問題もかなりあるのだが、そーゆーことをほとんど考えないで、ただサーっと読むことばかりをしている人間に、そのような細かい論理などわかるはずもない。だってそれまで考えてきてないんだから。あとは選択肢残り2つで迷って、エイヤー!の運試し。僕は恐ろしくて、そんなことできない 失笑。
 だからとにかく心から納得いくまで考え抜きなさい。僕は3年まで君たちを教えることは残念ながらできないけど、君たちが進むべき道筋は示したつもりだ。文法をないがしろにしてはいけない。全ての文法を完璧にするのは無駄も多いが、僕が示した文型など基本的なことは受験英語においては必須項目だ。文法は小問の文法問題を解くためだけのものではなく、長文など、英語の文章を理解するためのものだ。だから文の法則=文法なんだよ。単語や熟語、構文などの知識も知ってるだけではなく、それを活用しなければ意味が無い。
 最後に、お薦めの受験参考書を3冊紹介する。まず僕の受験英語のバイブルと言ってもよい本。先述の代ゼミ講師・富田一彦の「富田の英文読解100の原則 上・下」。論理的思考力を付け、難関大学を目指す生徒は是非やりなさい。これは、一冊やり終えたら、すぐ力が付くというタイプのものではない。この本に書いてある富田さんの考え方を納得いくまで考え抜き、それを吸収し、その後吸収したものを活用し、新たな受験問題に挑まなければならない。富田式論理を学び、それを自分のモノにするには最低半年はかかるだろう。だから、遅くとも3年の夏休みには終わらせることをおススメする。さらに上のレベルでは、「富田の英語長文問題解法のルール144 上・下」があるが、ここまで来れる生徒はそんなにいないだろう。
 2冊目はエスト出版の「エスト英語構文 Effective Reading」。構文の参考書というと、すぐ暗記型のモノを思い浮かべるが、この本は全く違う。ものすごく頭を使わせられ、結構できる生徒でも読み間違えがちなところが随所にある。参考書部分も丁寧でいいが、exercises を中心とした問題は量が多く、論理的思考力が必要で素晴らしい。
 3冊目は、Z会の「速読英単語 入門・必修・上級編」。学校での授業や小テストでは使いにくそうだが、個人的な勉強では一番のおススメで、時間がかかりそうで、実は効率が一番良いと思う。なぜなら、文章の中で単語を覚えるというタイプの単語帳なので、単語の意味をなんとなくではなく、論理的に推測する思考力も鍛えられるし、単語羅列型の単語帳より覚えた単語を忘れにくいと思う。上では、速読を否定したが、しっかりと読解した上での反復練習や音読はかなり力になると思う。
 君たちが誤解しないように、特に、塾信者の生徒に言っておくが、僕がここで紹介した参考書は、決して簡単なものではない。塾信者の中には、よく学校の授業をバカにして、塾講師の話だけ聞く輩がいるが、そーゆー連中はすぐこーゆー参考書に飛び付いて、授業をおろそかにしがちだ。だが、この参考書は、授業より間違いなくレベルが高い。だから学校の授業がしっかり理解できてない人間には到底やり遂げられないだろう。授業に真剣に取り組み、しっかりと理解したうえで、さらにもっとできるようになりたいと考える生徒には、素晴らしい思考力を与えてくれる良書であると言える。それは約束する。

壁紙水中01

これは水中写真①伊豆編

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水中写真②沖縄編

お好きにどーぞ☆
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コメント

あいみへ

今日もまた戻ってきた。
今日も泊まる。

別に浮かれる状況じゃ全然ないんだけどね。

またエッセーアップします。

2009/04/05 (Sun) 12:59 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集
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2009/04/04 (Sat) 23:18 | # | | 編集

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