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#44 遺心伝信 第9稿 ~人生の理~ &郡上 高沢観音 田立の滝pics

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(郡上八幡)

結局のところ、
人生の理(ことわり)とは、理性よりも感性にあると思う。
理とは、道理、理由、もっともなこと。
つまり、どちらかと言えば、人生の意味、人生において大切なものとは、頭で考えることよりも、心で感じることにあると思う。
「幸せは満足にあり」
そーゆーことなんじゃないかな~。



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(高沢観音の梅)

 僕は観念的な人間で、あーだこーだと考える頭でっかちだ。こんな自分の性分やだな~と思いながら、でも本当は、それをいーことだとも思っている。
 それ故、あまり頭を使わない人間、考えが浅はかな人間、感情ばかりで生きて、論理的に物事を考えない人間を意識的にも、無意識的にも軽蔑してしまう傾向にある。しかも、そう思うことが自分の優越感を満たすのだ。嫌な人間ですね 苦笑。
 だから僕は、よく「レベル」という言葉を使ってしまう。外見や好き嫌いで他人を判断することは、非常に嫌うけど、内面的な部分で他人を差別化し、無意識にレベル分けしている。もちろん、数字に表れる学力や、学歴、肩書きといったものだけで判断するわけではなく、できるだけその人間の内部を洞察した上での判断だけど、割合として、学歴が高かったり、肩書きが立派な人の方が、しっかりとした考えを持っていると思ったり、人間としても器が大きいと思うことが多いので、結局そーゆー判断をすることが多い。
 (ちなみに、僕は立場とか、肩書きでモノを言う人が好きじゃないし、あまり信用もしてないが、じゃー立場や肩書きを否定するかと言えば、そーではない。まっとうな手段だろうが、姑息な手を使おうが、その立場や肩書きを手に入れるために、その人がその人なりの努力をしたことは事実だろうから、それには敬意を払う。よく、肩書きなんて関係ない、と叫ぶ人がいる。僕も1対1でのぶつかり合いの場で、立場や肩書きを持ち出すことはフェアじゃないと思うけど、じゃー肩書きなんて関係ないかと言えばそーではないと思う。その立場や肩書きを否定できるのは、それ以上の立場や肩書きを持っている人間、つまりそれ以上の努力をしたり、運をしっかりつかんだ人間だけだと思うし、もっと言うなら、本人以外否定してはいけないと思う。端的な例を挙げれば、大学行ってない人間に、大学なんて行っても意味ない、なんて言われたくないということだ。)
 いつもの悪い癖で、話がだいぶそれてしまった。戻します。( )は飛ばして下さい。
 で、僕は頭を使って、論理的に物事を考えられる人間を素晴らしいと思うが、でも僕が思うのは、実は頭を使えること、理性的に物事を考えられることと、「幸せ」のものさしとは、必ずしも一致するわけではない、ということだ。
 人と人の幸せを比べること自体が愚かな行為だが、例えば、自分が馬鹿にしている人間が、自分より人生を楽しんでいるとしたら、それはやはり幸せなのだ。その人を僕がどう評価しよーとも、その人が幸せなら、それはその人にとって幸せな人生だ。
 僕は、君たちに常に頭を使え、理性的であれ、と言ってきたけど、人生の本当の幸せとは結局、感性、感情、気持ちにあると思う。
 僕は、実は、「人生の理」を実感として持っていた時期があった。それは前稿で書いた、約2年の鬱から抜け出してからの数ヶ月間。
 僕の周りの世界は全てが輝いていた。ジリジリと照り付ける陽射し、それをキラキラと反射する青い海、サラサラとゆー波の音、夏のにおい、ムッとするよーな亜熱帯の湿気、聞こえてくるカチャーシー(沖縄民謡に合わせた踊り)の音、僕の心を落ち着かせるうちな~ぐち(沖縄方言)、特に「あちゃ~や~」(また明日ねの意)、沖縄にいて、生きていること自体が幸せだった。あれほど嫌っていた沖縄の全てを愛おしく思った。
 もーあの感覚は消えてしまったけど・・・寂しい。
 それでも、今でも1年に1回沖縄に行くと僕はあの感覚に近い想いを持つことができる。何も考えず、何もせず、ただそこにあるものを受け入れ、大切にする時間。幸せの時。あれこそが「人生の理」だと僕は思っている。
 ただ、だからと言って、君たちに感性のみに従って生きろとは言わない。理性や知性だって本当に大切なもの。むしろ感情や好き嫌いばかりで生きていることが多い日本人にとっては、理性や知性が大切だと僕は思う。遺心伝信でいつも言ってきたよーに。
 (「教養」というのも、持ってたらなんとなくいーとか、賢そうに見えるとかそーゆーものではなく、人生を豊かにし、人生を生き抜くための知恵だ。教養とゆーと、なんかインテリぶった知識人の専売特許というイメージがあって、一般の人間には縁遠く、そして金にならない、あまり必要のないものだと思われがちだが、そんなことは決してない。教養こそ実学なのだ・・・と言っても、なんのことやら?って思うかもね。つまり、今、君たちが数年後行くであろう大学では、一般教養よりも社会に出てからすぐに、直接的に役に立つ専門的分野を学ぶ傾向が強くなってきて、それを実学主義と言うのだが、それも大いに結構だが、教養の価値がないがしろにされている。その影響は高校教育にも大いにあって、なぜ?なんで?と頭を使って原理的、根本的に考えることよりも、とにかく目先の点数を取らせる教育になってしまっている。これは、理性、知性を育てる教育とはなかなか言いがたいな~と思う。)
 また話が飛んだね。ごめんなさい。
 つまり、僕が言いたいのは、理性的に考えに考え抜いた末で、僕は「人生の理は、理性よりも感性にある」という想いに至ったのだ。僕の考えも常に変化していっているから、またこの考えは変わるかもしれないし、君たちの将来の結論が、僕と同じものだとは限らないが、頭を使って考えまくって、その結果、「心」・「気持ち」を大切にする人間になってほしいなと思う。そーゆー人間は、とても強く、そして、とても優しい。僕はまだまだ。
 君たちはまず、軽い表面的な言葉ではなく、真心を持って、素直に「ありがとう」「ごめんなさい」が言えるようになれたらいーね。

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(田立の滝)

 今回は今までよりは短く終わりました。だからまたちょっと別のことを書きたいと思う。結局長くなるんですな 笑。
 で、僕のエッセーに対する生徒の感想は色々あって、内容についてのことも多くあるんだけど、内容とは関係なく、単純に「長い」という文句とも、短くしろという要望とも取れる感想が結構ある。で、そのことについて、僕の考えというのは、全然長くないじゃん。むしろ1枚に収めるのに精一杯で、短くて、言いたいこと全部書けてないんだけど・・・である。君たちの多くは、僕と同様、あまり本を読まなくて活字慣れしてないであろーから、僕のエッセーが長く感じるんだろうけど、小説や評論というものは、この何十倍、何百倍の長さがあるのだ。これくらいで長いと言ってちゃ、そりゃ本は読めません。
けれど・・・である。新聞なんかを読んでいると、大体一つの記事は多くて1500字程度である。僕の好きな朝日新聞の「天声人語」は、700字程度で、あれほどの文章が書かれている。短くても、論旨のはっきりした素晴らしい文章というのは、存在するのだ。それと比べると僕の文章は、だらだらと長いかもしれない。
 親父に聞いたんだけど、こんな言葉があるそうだ。
 「今日は忙しいので、長い手紙になってすいません。」
 普通は、忙しいので手短に、が正しい気がする。でもこれは違う。つまり、時間がないので、だらだらとして論旨があいまいな文章でごめんなさい。時間があれば、もっと短くまとまった簡潔な文章が書けるのですが、ということだ。ほ~!!である。
 極端な例だが、有名な逸話に、「レ・ミゼラブル」を書いたヴィクトル・ユーゴーの世界一短い手紙というのがあるそーだ。「レ・ミゼラブル」の出版直後に海外に出かけたユーゴーは、本の売れ行きが気になり、出版社に手紙を書いた。その内容は「?」のみ。それを見た出版社は、ユーゴーに「!」(素晴らしい売れ行きですの意)とだけ返したそーだ 笑。

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(馬籠)

今回は去年の春~初夏にかけて行った岐阜の田舎名所を。
まずは3月に卒業生と行った郡上八幡。
郡上はとっても有名だけど、行った記憶がなかったので、午後から写真撮りに行ったら、落ち着いていてとっても綺麗なところでした。

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新しいワイドレンズの試し撮りでもあったのですな。

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まりえとみゆき。
元気なんでしょうか?
どーせ元気でガツガツしてて、どーせ元気でダラダラしているのでしょうな。

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街のいろんなところにちょろちょろと流れていて、それがまた乙。

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八幡城まで登りました。
ヒーヒー言ってた奴いたけど。

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ヒーヒーと。

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郡上みそ買って帰った。
うます。
また来たいなんつって、もー1年か・・・
郡上以上。

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次は、学校のマラソン大会の下見で発見した源平咲きの梅をわざわざ休日に撮りに行ったんですな。
高沢観音まで。
源平咲きどころか3色ありました。

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早く春来い。

続いて。
6月半ばに、大学の先輩であり、話せる兄貴、ともさんが西日本一周の帰りに、俺んちに寄ってくれました。
強引に3日も引き止めて、土曜に「田立の滝」にトレッキングと写真撮影に行きました。

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キツツキもウグイスもいた。

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田立の滝ってのは、いくつかの滝群の総称なんです。
だから5つか6つ滝を見ながら、上流に山道を歩きました。

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ともさん、また来てね。
高所恐怖症なのはわかったから。
俺は話したいことがいっぱいです。
でもなんかともさんとは電話じゃなくて、直で話したいんです。
東京いた時もそーでしたよね、なぜか。

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竜が背という名が付いています。
龍の背中みたいに見えるからだろうな。

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これはこれでおもしろい。

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電車まで時間があったとゆーか、ともさんは間に合う気がなかったようで、2時間半後の電車を待つ間、馬籠にも行ってきました。

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春の田舎はい~な~。
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コメント

あいみへ

腸の腸子は絶不腸であります・・・泣
お前はビシッと風邪治して、英Ⅰに特攻し玉砕しなさい。
お前ごときにやっつけられるほど弱くはないわ 笑
かかってこい♪

2009/03/04 (Wed) 18:11 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集
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2009/03/04 (Wed) 13:53 | # | | 編集
ちかまっつへ2

じゃー、テスト終わるまで踏ん張るだな。
終わったら、十分にへこむ時間もあるし、パーッと気分転換する時間もあるし、体を休める時間もあるしな。
結局は時が解決してくれるだろうけど、早く回復できるならそれに越したことはないからね。
友達に話をするから楽になるのか、話をするから余計引きずるのか・・・
強がるのも必要、弱音吐くのも必要。
人生一筋縄ではいかんよ。うん、いかん。
その種の悩みや苦しみは尽きないね。

2009/03/02 (Mon) 01:19 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集
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2009/03/02 (Mon) 00:19 | # | | 編集
ちかまっつへ

いや、弱音吐いてる場合でもいーんでない?
以前もここで返信したけど。
君の精神状態が手に取るようにわかるとゆーわけではないので、はっきりしたことは何も言えないけど、自分が一番しんどくないよーにすることが心と体にとってはいいことなのかもよ。
無理して頑張ることで抜け出せる場合もあるし、じっくり心と体を休めることで回復する場合もある。
色んな人に相談したり、アドバイスをもらったりするのは大切なことで、回復するきっかけになると思うけど、ただ結局どう動くかどう動かないかは、最終的には自分の判断であり、その判断に自分で責任を持つことが必要だと思います。

弱音吐いてる場合じゃないってゆーのはテスト近いからか?
ま~、そーっちゃそーやが、心と体の方が大事だと僕は思うけど、一概には言えないな。
少なくともテスト勉強一生懸命やることで心はとりあえず乱されることが少なくなるかもね。
体については、う~む、あんまり無理するなよ~。

俺もここ2週間絶不調だけど、やっぱり無理しちゃってるから全然良くならないもん。
マジしんどい。

2009/03/01 (Sun) 21:26 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集
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2009/03/01 (Sun) 13:16 | # | | 編集

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