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#41 遺心伝信 第7稿 ~ルール~ & カンボジア pics

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(カンボジア トンレ・サップ湖)

僕はリベラリスト(自由主義者)だ。
だから基本的に「ルール」というものを好まない。特になんでもかんでもルールで縛るということを嫌う。
ルールで人間を縛ることは、その人々を馬鹿にしているに等しいことであって、自ら考える機会を奪って、人々を馬鹿にすることだと思う。


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(トンレ・サップ湖)

 僕は、君たちと1対1の人間として付き合っている。ある程度、自我と自律心を持った大人として付き合っているし、今はまだそーでなくとも、そーなって欲しいと思っている。だから変に子ども扱いして、1から10まであーしなさい、こーしなさい、とは言わない。基本的には自由主義で、自分の頭で考えて行動すればいいと思っている。授業で、このエッセーでいつも言っていることだ。なぜなら、当たり前のことだが、なんでもかんでもいちいち指示していたら、その子は自分で考えることをやめてしまう。生徒を教師の思うように動かすことは、教育ではない。断じてない。そー強く思う。だから僕は、君たちを「ルール」でがんじがらめにするようなことはしたくない。もちろん学校というのは小さな社会だけど、様々な人間がいるから、ある程度のルールは必要かと思う。(ちなみに僕の英語の授業も、文法という英文のルールを非常に大切にしたタイプのものだ。しかし、僕がいつも使うルールは、微に入り細に入り、というような細かいものではなくて、「動詞の意味は文型によって決まる」とか、「名詞は必ず、S・O・Cのいずれかになる」とか、「等位接続詞は前後に同類のモノを取る」などといった、英文読解の際に大前提となるようなことであって、そこから先は、その基本的なルールを活用して、君たち自身がいかに自分の頭を使って、論理的に考えるかということを最も大事にしている。特にこの1年間、僕の英Ⅰの授業を受けてきた生徒なら、それがよくわかると思う。脳がかなり鍛えられただろ?)
 しかし、君たちが教師側の価値観(あえて価値観と書くが、)に従わないからと言って、ルールで縛ってしまうのは、強者の価値観の押し付けだと思うし、どうせ考えられないんだろーと、生徒を馬鹿にしているに等しいことだと思うし、君たちから考える機会を奪って、君たちを馬鹿にすることだと思う。(この2つの「馬鹿にする」の意味はそれぞれ違います。)最近の生徒は考える力がないからと言って、ルールで縛ってしまったら、さらに考えられなくなるということなのに。僕は、君たちが転ぶ前に抱きかかえてやるよーな教育は、好きじゃない。自分の身をもって、失敗して学べることの方が多いんじゃないかと思うのだ。
 それから、「他人に不快感を与えないようにしなさい。」といった趣旨の発言は、僕が学生のときも聞いたし、今でもたまに耳にするのだが、なんか納得できるよーで、いつも頭に???が浮かんでくる。例えば、嘘を付いて他人に不快感を与えないようにしなさい。というなら理解できる。「正直である」ことというのは、絶対ではないにしろ、かなり普遍的な価値として認知されているから。でも、個人の考え方や趣味、外見などは、ある程度の価値基準はあるにせよ、やはりそれは個人の価値観によって大きく左右されるもので、これが絶対正しいというものはないと思う。だから、ある特定の個人が不快に思うからといって、それをしないようにと他人に強制することに対して、僕はいつも疑問に思うのだ。それって、正しいようで、実は個人の趣味や価値観の押し付けじゃないの?って。
 ただ、ルールによって、縛るのでなくて、本当に生徒を支える、生徒を守るという、口先だけでない目的があるのであれば、それはそれでいいことなのかな、と、ある先生との議論の中で考えるようになった。
 それから、これは学校に限ったことではないが、「最近の若者は・・・」という言葉がある。というか、この言葉は昔からある。明治時代にもあったし、親父によると、2000年以上前の古代ギリシャにもあったよーだ。世の中のおじさんおばさんが言う「最近の若者は・・・」という説教の始まりに付けられるこの言葉は、なにも最近出てきた言葉ではなくて、ずーっと世界各地で、時代を越えて使われてきているのだ。ということは、世の中のおじさんおばさんも、昔は最近の若者であったわけで、いつの時代も、おじさんおばさんにとって、最近の若者は腹が立つ存在なのだろー。ただそこで僕が思うのは、その若者を育てたのは、他ならぬ、そのおじさんおばさん世代であり社会なのだ。自分の息子娘ではないから直接責任があるとは言えないかもしれないが、若者が(おじさんおばさん基準での)「まとも」に育ってないのは、どちらかと言えば、若者本人の責任というより、若者を育てた世代、社会の責任ではないのか、とも思う。ある程度の年齢になっても、自律心がない、どーしよーもない人間は本人の責任と言えるが、その前段階の子どもを育て、しつけるのは親であり、自分で責任を持って、自分の頭で考えるような人間を育てなかったのは社会なのである。僕は最近の若者がまともに育ってないとも思わないが、確かに、戦中、戦後間もない頃と比べると、僕を含め現代の若者はハングリー精神に欠けているだろうし、我慢強くないかもしれない。工夫したり、自ら考えることをあまり積極的にしないかもしれない。それはハングリー精神が比較的必要のない時代、我慢があまり要らない時代に生まれて、時代がそー仕向けたのであって、あえて僕達がそれを拒絶したわけではない。自然にこーなったのだ。上の世代がルールで縛ることによって、子ども達から自ら考える機会を奪って、ミスをしない、ミスをすることができない機械のように育ててしまったのだ。今、また日本が、モノがない食べ物がない、戦後のような状態になったらやはり、「最近の若者」ももっと我慢するようになるだろう。自らの頭を使って生き抜こうとするだろう。もちろん、そこがクリアされても、また何か若者に対する文句は出てくるだろうが。僕が思うに、「最近の若者は・・・」のような種類の発言というのは、口では若者のためを思ってと言っているが、結局は、下の世代が自分の思い通りにならないことへの苛立ちからくる、所詮愚痴なんだろうなと思う。と、ギリギリ若者の一人として、息巻いてみたが、君たちに言ってもしょーがないね。
 ただ、こーゆーことを言うと、君たちの中には、「ジョーは味方だ」と思って、僕ならなんでも聞いてくれると勘違いする子がいるが、そうではない。もちろん、多くの生徒は精神的に、大人と子どもの間を行ったり来たりしているわけだから、甘えたい時もあるだろー。そーゆー時は、僕はどちらかと言えば、君たちの立場に立ってあげることもある。でも手放しで全てを認めて、なんでもいーよという気はない。甘えさせながらも、僕の考えることはしっかり言う。
 で、ルールということに関して言うが、残念ながら、少数だが、君たちの中には、まだいかにも子ども(=自律がほとんどできず、自分の頭で考えることができず、自我しかない子)もいる。つまり「しつけ」レベルのルールで縛るしかない子だ。
 ルールというものの特性上、一部にのみ、あるルールを適用するというわけにはいかず、全体に適用するしかないため、一部の自律できない子どものために、義務を果たしているのに、権利を受け取れない多くの生徒がいることは可哀想だと思う。
 また、これは、あくまでも個人的な意見だが、高校生が外見やファッションに興味を持つことは、極自然でむしろ肯定すべきことだと思う。しかもそれを表現する場が、一番長い時間を過ごし、最も関係が深い友達と一緒にいられる学校という場であることも極自然だと思う。
 ただ、僕がこんなこと言うと、堅苦しいと、びっくりされそうだが、学生の本分は「学ぶこと」だと思う。いわゆる受験勉強だろうが、部活だろうが、人との出会いからだろうが、なんでもいい。だから、大学に受かるためだろうが、頭を良くするためだろうが、充実した人生を送るためだろうが、それは本人の心持ち次第だが、「学ぶ」という責務を果たすことは君たちにとって必要不可欠なことなのだ。だから、僕はそれをしっかりやっている人間が、さらにファッションなどにも自分のエネルギーを使うことは、むしろすごいことだと思う。ただ君たちはまだ幼い部分があるし、人によっては、めりはりを付けれず、それにどっぷりはまってしまって、本来の義務を忘れてしまうことも多いと思うから、歯止めが必要なのだ。
 こーゆーことを言うと、「勉強さえできればいーのか?」と反発する子が君たちの中にはいるだろうことは、容易に予想がつくのだが、じゃー君は、自分なりにでも、その責務を果たそうとしているだろうか?勉強に限らず、ありとあらゆることにおいて、人には当然能力の差があって、どれだけ頑張っても勝てない相手はいる。だから僕は、誰かと比べて、君はよし、君はダメと言うつもりはない。でも、学ぶということから、逃げて、ただ違った方向にだけ走っているのなら、それは義務を果たさず、権利だけを主張しているのではないかと思うのだ。
 もちろん、この学校で学ぶようなことが、自分は全く大切だとは思わない、先生の言うことも何一つ大切だと思わないというなら、それはそれでいいと思うし、自分をしっかり持って生きていて、素晴らしいと僕は評価する。その道がその子にとって、良いものとは限らないだろうけど、でも自分で責任を持って選んだ道なら、失敗しても納得ができるだろう。でも、全員とは言わないが、多くは、結局3年生になり、受験前になると、自分の行く末に不安になり、遅ればせながら焦って勉強するのだろー。最後まで自分を貫くことができないのだ。元々自分など無く、ただ逃げていただけだから。
少々厳しいことを書いたが、僕は甘えや自堕落な生活を完全に否定するわけではない。僕だって、そーゆー時代が長くあったし、今でもそーゆー時期がある。そして、ある意味、ダラダラした生活ができるのも学生の特権であり、大切にしなければいけないこととも思うんだな~。
 また僕が思うのは、ルールが変だとか、合理的ではない、と思ったら、しっかりと論理的に反抗すればいい。学校においては、残念ながら教師は強者で、生徒は弱者だというのが実情だから、一人ではなかなか立ち向かえない。だったら集団になってもいい。生徒会だってある。数の上では圧倒的に君たちの方が上なのだ。
 それを、僕が話をわかってくれるだろーと、愚痴を言いに来たり、隠れて、コソコソとルールを破るのはイマイチだな~と思う。それが君たちの生き抜く術なのかも知れないが。実際僕に愚痴を言いに来た子は学年問わず何人もいた。両手では足りないほどの人数。でもその度に、僕は、「そーやって愚痴ってすっきりするならそれでもいーけど、俺に愚痴ったところで、何も変わらないよ。ホントに不満があるなら現状を変えようと自分で動いてみろよ。」と言ってきた。でも、結局彼、彼女はみんな何も動こうとはしなかった。結局甘えたいだけなんだな。まー、それはそれでいーんだけど・・・でも・・・けれど・・・と思ったりもするけれど・・・

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(トンレ・サップ湖)

 今回で、続編を入れて、8稿書いた。今までのエッセーでは、一部を除いて、「頭を使って論理的に考えること」「自分の基準をしっかり持つこと」の必要性を論理的に、理性的に何度も説いてきた、いわゆる「主張」であった。君たちも知っているが、僕はこのエッセーを君たちだけでなく、先生方にも配っている。その際、気をつけなければいけないと常に考えていたのは、僕のこのエッセーの向こう側にいるのは、あくまでも君たち生徒なんだということ。でも、やっぱり文章を書いている時、向こう側にいるのが、先生だったりすることもあった。これでは、君たち生徒が置き去りになってしまう可能性もある。それをやったら、僕がこのエッセーを書き始めた趣旨から外れてしまうし、書く意味がなくなってしまう。そう思った。今後は、もう少し自分の経験を踏まえて、「心」で以って君たちに語りかけてみようと思う。つまりここまでが第1章。次稿から第2章が始まると考えてもらっていいと思う。もう少し優しい文章が書けると思う。

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(薄暗い市場内で)

 遺心伝信を書き始めてから、毎回挿絵的に(と言っても、文章と写真は全く関係ないけど・・・)、タイやカンボジアの写真をクッションとして挿入してきたけど、毎回3~4枚では埒が明かないし、他にもアップしたい写真が色々あるので、エッセー終わりで旅行ごとにアップしてしまおうと思います。
 本とは、旅行記として、それぞれの場所やその時思ったことについて書こうと思っていたけど、かなり長い間放置してしまっていたので、もはやその時何を感じ、何を思ったかはっきり定かではないし、写真がたまっていく一方なので、一口コメント程度にはなっちゃって、自分としてはなんか納得し難いんだけど、遺心伝信のサブイベントとして、やってしまおうと思っています。
小難しい文章はどーでもいーけど、写真は見ようとゆー方はどーぞ写真だけ見てください・・・

では、約1年前の3月に行った、カンボジア旅行の残りの写真をどーぞ。

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これなにかわかる?絶対知ってるはず!あ、クイズにしよ。コメント下さい☆
ヒントは目先を変えて、意外な部分を見ること。

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アンコール・ワット周辺は、熱帯のジャングルまでいかんけど、森林で猿なんかもかなり出没するのだ。

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これは、確かアンコール・トム(王宮)の壁画。

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これもアンコール・トムのどっかだな。

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アップで。結構いろんな表情があるけど、ありがたい顔多し。

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もっかいアンコール・ワット。

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昼過ぎのアンコール・ワットを裏から。

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最後にアンコール・ワットと俺。
大学時代の盟友、そーへーと一緒にしたタイ・カンボジアの旅。
俺は初日のトムヤムクンのせーで、腸が逝き、熱も出て散々な状況で、そーへーにはかなり迷惑掛けたけど、そーへーも楽しんでくれてたよーでよかった。
今回得た教訓。
「旅先では辛いモノ食うな。」
しょ~もな。
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コメント

また違うよ。

ブブブ~~・・・ブブ~。
全然違います。
見るのはそこじゃないんだよな~。
もー少しずらして♪

2009/02/21 (Sat) 15:54 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集

わかった(*^ω^*)
ピーマンやヾ(^Д^)/
絶対当たった!!!!!!

2009/02/21 (Sat) 13:00 | まりん #- | URL | 編集
あいみへ

そーかそーか。
偉大だからな笑

もージュースの件はいーではないか。
それ以上に色々お返ししているでしょう。
ありがたいお言葉で 苦笑。

2009/02/21 (Sat) 09:14 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集
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2009/02/20 (Fri) 23:59 | # | | 編集
あいみへ

ごめんなさい。
全く覚えてません。
・・・てか知らない子からジュース奪って飲んだりするんや。
びっくりやな。
それ多分俺じゃないな。
グラサンかけたカメラマンの人や。そーや。
俺ではない。乙。

2009/02/20 (Fri) 14:18 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集
まりんへ

可愛いやろ。
でも、なんかふてぶてしかった。

かぼちゃ?ぶぶ~~~~×××
そんな大きくありませ~ん。
もっと違うところ見なきゃ。

2009/02/20 (Fri) 14:16 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集
コメント常連さんへ

色々ってのの全ては知らないけど、一つは知ってる。
多くの人にとって、それは、ものすごく辛いことで、でもものすごく身近だ。
だから、多くの人がその痛みを知ってる。でも、その人のその痛みは、本当のところその本人にしかわからない。
孤独だな。
しんどい時は無理すんな。泣いたり愚痴ったりわめいたり友達に迷惑掛けたりして、少しでも楽になればいーんでないかな?
そして、ちょっとずつ無理をして、一歩一歩前に進めばいー。
気がついたら、ものすごい速さで走ってる場合もあるからさ。それは理想だけど・・・
ゆっくりゆっくり☆

2009/02/20 (Fri) 14:14 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集
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2009/02/20 (Fri) 00:05 | # | | 編集
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2009/02/20 (Fri) 00:05 | # | | 編集
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2009/02/19 (Thu) 21:17 | # | | 編集

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