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#37 遺心伝信 第4稿 ~信念を持たない信念~

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(タイ 水上マーケット)

信念を持たない信念
主義を持たない主義
こだわりを持たないこだわり


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(同じく 水上マーケット)

 日本では、「信念」という言葉は非常にいいニュアンスで捉えられ、「信念」を持って行動することは肯定されることが多い。合理的に考えると、実際には正しいとは言い難い行動であっても、信念を持って一所懸命やりました、となると周りはなんとなく、それならしょうがないと納得してしまいがちである。(一生懸命やるという過程はもちろん大切だが、本来の目標と逆方向に走るようなことを一生懸命やっても、それは決して褒められたものではないのだ。付け加えれば、その本来の目標が、自分のものではなく、人から無理やり課せられたものであるなら、あえて逆方向に走るというのも、一人勝ちの可能性もあるし、それはそれでおもしろいのだが、それはまた別の話。)そーゆー時、日本人はやっぱり感情に流されやすいな~、情緒的だな~と思う。心で捉えることももちろん大切だが、もっと頭を使って、理性的に物事を捉えることが必要だと僕は思うのだ。
 「信念」というのは、突き詰めて考えていくと、結局は何ら合理的な根拠のない個人の「好み」、「性分」に行き着くと思う。つまり、ある人が、この考えは正しいとか間違っていると考えるのは、究極的には個人の好き嫌いであって、所詮は個人の価値観に過ぎない。そのような 信念 ≒ 好み、性分、価値観というものに対する理由付けは、信念をなんとかして正当化するために意識的、無意識的に後から加えられたものではないのかな。(無論、ある理由があって、それによって信念が形成されることもあるだろうが、ある理由というのも所詮好みによるものであると考える。)
 かと言って、僕はそれを完全に否定することはもちろんしないし、持っていていいと思う。僕は信念という言葉が好きではないので、いつも「基準」という言葉を使うが、それが「個性」というものだ。僕だって、頑なな人間だし、これは正しくて、あれは間違っていると考えることは多くある。ただし、その所詮価値観にしかすぎないはずの「基準」を、まさに正しいことのように、絶対的に考えたり、他人に押し付けたりすることは、僕にとっても、周りの人間にとっても良くないことだと思うから、そーゆーことがないように常に気をつけている。(気をつけてはいるが・・・)
 「経験」についても、同じことが言える。経験から学び、成長することは非常に大切で、よく人は、自分の経験を基に人に忠告したり、アドバイスしたりする。それは別段問題ないのだが、自分の経験を絶対視し、相手にも自分のその時の判断を強制しようとする人がいる。簡単に言えば、かなり決めつけて、「自分はこーだったからお前もこーするべきだ」とか。それはどーかな~と思う。人間一人の人生や経験は、それがどれだけ起伏に富んだものであっても、成功に満ち溢れたものであっても、所詮は一人の経験に過ぎなくて、絶対的なものであるはずがないのだから、それを他人に強制する、いわゆる「狂信的な経験主義者」を、僕は信じない。
 僕が遺心伝信のまえがきで、君たちに「選択肢」を与えたいと書いたのはそーゆー意味だ。僕がこのエッセーで言っていることは、僕にとっては、理性的に考えて出した、正しいであろう価値観だけど、君たちにとって必ずしも正しいわけではなくて、所詮は一つの選択肢に過ぎないと考えている。信念や価値観などは、本人にとっては、正しくとも、誰にでも当てはまる普遍的な真理であるはずがないのだ。(と言ってしまうのも、ある意味で決めつけていることになるけど、一応理性的に頭で考えた結果のつもりです・・・)
 「信念」というのは、個人のレベルにおけるものだけど、もう少し大きくして、一般社会のレベルで考えてみると、「常識」、「伝統」、「権威」などが個人レベルにおける信念と同じようなものだ。これらは、個人の「信念」に比べると、多くの人間や長い時間の検証を経てきているので、一見正しいように思える。しかし、常識だって決して普遍的なものではなくて、時代や場所が変われば、当然常識は常識でなくなるし、伝統も古くからあるからと言って、決して正しいとは限らない。悪しき慣習という言葉があるように、いい伝統もあれば、悪い伝統もあるのだ。多くの人が正しいと考えるから、正しいとは限らない。君たちには、そんなこと分かってると言われそうだが、やはりその中で生きていると、常識が当然正しいものとなってしまう。
 なにかを正しいとか間違っているとか決め付けてしまうこと。それが偏見である。偏見から自由になることは、決して誰にもできないことであるが、ものごとをなるべくまっすぐな眼で見て、理性的に判断しようとする意識は持っておくべきだ。日本ではあまり強調されないし、あまり良い意味で捉えられないのだが、批判的な精神、懐疑的な視点を常に持っておくことが非常に重要であると僕は考える。常識を常識と考えず、自分の眼でまっすぐ見ようとすると、今度は個人の価値観という偏見が入ってくる。それがいけないのではなくて、自分は偏った視点で見ているのだということを意識しておくことが、できるだけ客観的にものごとを見るということにつながると思う。つまり「あらゆるものを疑いながら、それを見ている自分の視点をも疑う」ということだ。
 ただ、そうなると正しいと信じられるものがなくて、とても不安定で不安だ。だから、やはり人は集団に頼り、集団の多くが正しいと考える常識に頼り、またそーゆーものに頼らなかったとしても、自分の信念に頼るのだ。自分の眼で見ず、自分の頭で考えることなく、集団に頼るよりは、自分の信念を持って生きた方が、かっこいいと思うし、独立してるな~とは思うけど、でも結局は信念に寄り掛かって、決め付けているってことになるんだろうと思う。
 でも、僕は、前稿などで書いたように、若いうちは「自分を突き詰めて」、ある意味決め付けて、エゴイスティックに生きていってもいいと思う。中途半端にではなく、真に自分を突き詰めた者は、自己中や利己的ではあり得ない。「自分絶対」、「自分が正しい」ということを突き詰めれば突き詰める程、見えてくるのは実は、「自分が絶対的に正しいわけではない」という想い、相対的な価値観、個人主義である。そーゆー人の相対主義は、最初から集団に頼り、守られていた者の事なかれの相対主義とは似ているようで、全く違うものである。僕は、いつもこの絶対的な価値観(下)と相対的な価値観(上)の瀬戸際を行ったり来たりして、なかなか登り切れないのだが・・・悔。
 いつも言っていることだが、やはり君たちは、自己本位の考え方を信じるよりも、周りの視点に自分の考え方を合わせようとゆー姿勢が見える。それでは、いつまでたっても、事なかれの相対主義から抜け出せないよ、と経験的に思う。やはり自分を突き詰めて、「自分絶対」を突き抜けた後に、真の相対主義が獲得できるのではないかと経験的に思うのだ。
 経験的に、と書いたのは、僕はそのような過程を経て、相対的な価値観を獲得しつつあるというだけで(決して獲得できた、とは思っていない)、僕の大学のある先輩やある友達、去年のある一人の卒業生は、僕のような過程を経ずして、決して事なかれではない相対的な価値観を獲得していたからである。上述のように、僕はこれまで、どれだけ自分をぶらさずに生きていけるかということを大切にして生きてきた。でも彼らはそうではなくて、そーゆー性分なのか、そうしようと意識をもっていたのかわからないが、自分をどれだけぶらせられるかということを大切にして、生きてきたようだ。僕は自分の生き方に一定以上の自信と誇りを持っているけれど、彼らを羨ましいと思うこともよくある。頑なになりがちな僕なんかより、いっぱいいっぱい色んなことを吸収できるんだろ~な~って思うから。
 僕が常に心がけながら、なかなかそうできない永遠の目標。
 「ニュートラルでいながら、自分の基準を持ち、でももっとやわらかく」
矛盾しているようだけど、でもこーゆー人間を僕は少数ながら知っているし、僕もいつかこーなれたら素晴らしいな~と思っています。

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(バンコク)

2週間振りのエッセーでした。楽しみにしていてくれる子には申し訳ないな~と思いながら、体というよりも、考えることが多すぎて、頭が忙しくて、それで心が弱っていて、なかなか書けませんでした。加えて、もちろんいつも自分の真剣な想いを書いているけれど、今回は特に自分の考えの根幹を成す内容の稿だったので、いつも以上に気合が入っていた結果、うまく自分の考えが書けないのが怖くて、なかなか書く気になれなかったのです。実際ちゃんと想いを出し切れたか不安です。
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コメント

>あいみへ

へ~、そーやんや~。
馬鹿だね~、きみは~。

結構強情な不思議ちゃんですか?

歯医者?
またなかなかハードな道を行くね~。
俺歯医者の息子の魚なら知ってるけど、紹介しよか?笑

2009/02/09 (Mon) 06:23 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集
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2009/02/08 (Sun) 23:08 | # | | 編集
Re: やっほっほー

>外科医(がいかい)さん

こんな漢字も読めないよーでは、医者どころかまともな大人にもなれないので、ちゃんと勉強してください。

今はなんとなく分かればいーんでないかな?
それでもジョーのそれは理解できる、でもあれは違うと思うと言えばいーと思うよ。
それがもしかしたら浅い考えでも、そこでまた議論すればもっと理解が深まっていくじゃんね。

自分の世界で生きる。
とっても難しいけど、漢字覚えながら、自分の道を見定めていってください。

2009/02/05 (Thu) 19:56 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集
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2009/02/04 (Wed) 23:38 | # | | 編集

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