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#34 遺心伝信 第2稿 ~言葉~

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言葉とは不完全なもの。
自分の考えや想いを、過不足無く、正確に、言葉にして伝えることは不可能だ。
でも、だからこそ、言葉を発するときは、できるだけ慎重に言葉を選んで、自分の中にあるモノをなるべく正確に伝えたい。
それが、「自分の言葉」で話すということ。「自分の言葉」に責任を持つということ。


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 遺心伝信のまえがきでも書いた通り、僕は、普段スラスラと話しているようで、実は口下手な人間だと思う。スラスラと話している時は、あまり頭を使う必要のないしょーもない世間話をしている時か、前以て言いたいことをかなり考えていた時か、感情的になって論理性などを考えてない時である。(3つ目については、あまりないが、そうしてしまった時は後悔することがよくある。)それ以外の時は、口ごもったり、パッと返事ができず、言葉に詰まったりする。そーゆー時、つくづく自分には、思考の瞬発力がないな~と、自分の頭の回転の悪さを呪ったりする。
 でも、一方で、真剣に考えたり、言葉を選んだりすること無く、安易に考えを述べたり、相手に同意や反対したりしない自分の姿勢が好きだったりもする。
だから、いい加減な話はともかくとして、真剣に話をする時には、思いつきで話すことはなるべく避けて、こーこーこーゆー論理で話を持っていこうとか色々考えて話をするのだ。(誰しもそーゆー部分はあるだろうが、おそらく僕はそれに対する執着が強いと思う。)でも、そーやって色々考えて話しても、やっぱりなかなか上手く話せない、または、伝えられないことが多い。
 まず、上手く話せない、ということだが、そもそも形の無い「自分の心の中にあるモノ」を、正確に、言葉という形あるものにするということ自体、既に無理があるということ。(言葉には目に見える形での形がない、ということはとりあえず置いといて。)形がない自分の考えを言葉にした瞬間に、数%か数十%か言葉にできていなかったり、その考えにぴったりな言葉に置き換えられなかったりして、言葉を発した後でも、う~ん、なんか違う、どっか抜け落ちてる、と思うのだ。
 また逆に、想いを不十分な言葉にして、でも、その表現が妙に気に入ってしまったりすると、自分の考えがその言葉に引っ張られてしまい、そもそも初めに心の中にあった想いが、正確には、どういう想いであったのか、わからなくなってしまうこともある。(この感覚、わかりにくいかも知れないが、同様の感覚を持ったことがある人なら理解できると思う。)
 次に、伝えられない、ということだが、話をする人間と、話を聞く人間には、どれだけ親しい関係があったとしても、やはり温度差があるということ。それから、たとえどれほど似た経験を持っていたとしても、同じような空気の中で生活していたとしても、結局は別の個体であるということ。だから話をする人間の言葉の意図することが、必ずしも聞く人間にとっての意味と同じである保証はない。むしろズレがある方が自然なのだ。

 結局言葉によって、考えや想いを100%正確に伝えることは不可能なんだと思う。でもだからと言って、適当に話せばいいとは思わない。100%は無理だけど、なるべく正確に、誤解が無いように、伝えたいと思うと、僕は「自分の言葉」で話すことが大切だと心底思う。

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 人と話していても、テレビを見ていても、日本人は、言葉を大切にしていないな~、責任を持って話してないな~と思うことが多々ある。(それは、留学していたロンドンの人達と比べて、ということではなく、一般的にというか、僕が理想とする基準と比べて、である。)
 その場の空気に合わせて話す、なんとなくそー言っておけば波風立てずに丸く収まるということを話す、本心でなくとも立場上そう言った方がいいということを話す、など予定調和的なことを話す。真剣にその人を洞察していれば、確実ではないにしろ、その人がなんとなく言っているのか、その場の雰囲気で言わされているのか、「自分の言葉」で話しているのかはわかる。(僕は社会的にものすごく責任のある立場に立ったことがないから、もしそーゆー立場に立てば色々悩むんだろうけど、現時点では、やっぱり違和感を感じる。)
 君たちも、そーゆーことよくあると思う。みんながよく使うからとか、テレビで流行っているから使うとか。別に流行りが悪いわけじゃない。その言葉を、ちゃんと自分で納得して、使っているかどうかが大切だと思う。
 子どもに限ったことではない。僕がホントに言いたいことからは、ちょっとズレてしまっている気がするが、例を挙げると、日本人が最もよく使う言葉に「すいません」という言葉がある。「すいません」は非常に便利な言葉だ。言い換えれば、都合のいい言葉だ。「ありがとう」でも、「ごめんなさい」でも、「失礼します」でも、他にもありとあらゆる場面で使えるし、使われる。僕はこの言葉が好きではない。いや、「すいません」という言葉自体が悪いわけではない。日本人の多くが、なんとなく使っているうちに、もはや「すいません」の元々の意味なんて何だったかわからなくなっている。日本人がなんとなく使ってしまっている言葉の典型だと思う。僕はやはり感謝している時は、ありがとうと言いたいし、謝る時は、ごめんなさいと言いたい。
 だけど、思い返せば、僕も「すいません」ばかり言っていた時期がある。大学を卒業して、沖縄に移住して2年目、鬱屈した想いの中で生きていた。(この時のことはまた別の稿で書くつもりだが。)自信も全くなく、これといった自分の基準もなく生きていた僕は、当時働いていた予備校の同僚や、ダイビングの先輩達に、なにかあれば、それが悪いことなのか何なのかあまり考えもせず、とにかくすぐ「すいません」と言っていた。話し始める時、枕詞のように、何十回、何百回と。ある程度の自信と自分の基準を獲得した今は、めったに使わない。それは謙虚さがなくなったということではなく、(謙虚さが無くなったということもあるにはあるが 苦笑、)自分の本心から言葉を使うようになったということだ。多分今では、年に10回も使わないんじゃないかな~。それでも何かの拍子に、なんとなく使ってしまうことがあって、その後、あ、今俺すいませんて適当に使った~、と軽くへこむ。
 話を戻せば、「すいません」という言葉が悪いわけでも、「すいません」を使うこと自体が悪いわけでもなくて、「すいません」を使うときに、その「すいません」が自分なりの本心から出た言葉で、なんとなくではなく、納得して使っているかどうかが大切だということだ。
 それが、「すいません」に限らず、「自分の言葉」で話すということではないかな。
 だから、別に「自分の言葉」が、人が言わないような特別な言葉でなきゃいけないとか、いつも周りの空気に逆らって話さなきゃいけない、ということではない。そもそも、言葉(知識)というものは、関わっていく人々や本やその他いろいろなものから得るものであって、自分で考え出すことなど、不可能に近い。だから「自分の言葉」といっても、結局は、受売りのようなものだ。自分が漠然と心の中で考えていて、でも言葉にはできなかったことが、読んだ本の中にあったりすると、100%一致しているわけじゃないにしても、あ~!こーゆーことなんだよ!と、とても嬉しくなることがある。また、全然考えてはいなかったけど、ある話を読んだり、聞いたりして、ほ~っ!と、衝撃を受けることもある。そんな考えや言葉を自分の中に入れて、ちゃんと消化して、自分のものにすれば、それは、受売りだけど、受売りじゃない、「自分の言葉」となると思う。
 そーゆー「自分の言葉」で話す人の言葉には、たとえ平凡な内容でも、説得力があるし、深みがあると思う。

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 授業でも「自分の言葉を持って、自分の言葉で話せるようになって下さい。」と、何回か言ったことがあると思うけど、その時、スポーツ選手のことを例に出したのを覚えているかな。
 Qちゃんこと高橋尚子。また、サッカーの、ヒデこと中田英寿。あと、ゴルファーの宮里藍。僕はこの三人のインタビューでの受け答えや出演した番組内での言葉を聞いていた時に、あー、この人たちは、「自分の言葉」で話しているな~と思った。イチローは、確かに自分の言葉なんだけど、ショーマンシップ旺盛で、自分の言葉の影響力なんかも理解した上で、あえて奇をてらったことを言おうという意識が僕には感じられるし、ヤワラちゃんこと谷亮子も、マスコミ慣れし過ぎて、マスコミが言って欲しいことを言ってるという感じがあった。(かと言って、もちろんイチローやヤワラちゃんの偉大さは全く変わらないのだが。)また、他の多くの選手は、「日の丸を背負って」とか、いかにも言いそうで、でも、この戦後60年間、愛国心などの教育をできるだけ排除してきた日本社会の中で育ってきた若者が、そんなん全然思ってへんやろ、ということを平然と言う。無論彼らも、本心は国のためではなく、自分のためにやってきたはずで、インタビューされてるから、別に言いたかないけど、一応それらしいこと言っとくかって感じなんだろうけど、それにしても、言葉が軽すぎる。自分の言葉では全然無い。
 最近人気の芸能人では、宮崎あおいは、他の可愛いだけの女優、アイドルと違って、一言一言、「自分の言葉」で話しているのが伝わってくる。だから好きだ。(もちろん、容姿もコミで、だが。笑)
 もう少し身近な例を挙げると、K先生は「自分の言葉」で話す人だと思う。関高祭のオープニングでの話や、壮行会でのドラゴンボールの元気玉バリのパフォーマンスなどで、僕は楽しませてもらっているが、一番印象的だったのは、1回目の避難訓練の時の話だった。みんなさしたる緊張感もなく、校庭に集まった。僕は、集合が遅い、私語が多いという、いわゆるお説教が始まるのかな~と思っていたら、災害時用の服を着たK先生は、実際に地震が起こったら、消防車も来ません、救急車も来ません、おじいちゃん、おばあちゃん、弟、妹を助けるのは、君たちだ。という趣旨の話をされた。平凡じゃないというだけでなく、あの話には、K先生の想いが根底にあるということを感じて、心に響いた。何故か涙が出そうになった。
 (いやはや、具体例が非常に長くなってしまった。話を戻そう。)
 逆に、社会的に権威や権力のある人や人気のある有名人などが言ったこと、書いたことを、ちゃんと理解しようともせず、偉い人、人気者が言ったというだけで、権威にすがって得意そうに話す人がいるが、これは受売り以外のなにものでもない。薄っぺらいし、当然説得力もない。じゃー、これはこーゆーことなんですか?と聞くと、いやー、これは誰それが言ってることだから、よくわからないな~と言う、・・・やっぱりか、とがっかりする。また、大多数の人がそう思ったり、言っているだけで、それを検証することなく、鵜呑みにして、当然だと言ってしまう。それに対して質問しても、そんなの当たり前、常識だと言う・・・う~む、それでいーのか。わからないことは、悪いことではない。わからないことをわからないと認めれなかったり、わからないことをわかったフリをするだけでなく、それを知ったかして、話してしまうことは悪いというか、良くないことだと思う。その人にとっても、周りの人間にとっても。
 だから、僕は、たとえ目上の人が言うことでも、一見当たり前のように思えることでも、わからないことはわからないとなるべく言うようにしている。反抗的だと思われがちだが、純粋に何故そうなるか知りたいのだ。(もちろん反論したい場合もあるが。)安易に「そーですね~」と言うのではなく、「そーですね~」と言いそうになっても、「そーです・・・か」と踏ん張ってみるのだ。(もっとも、踏ん張りきれずに、「そーです・・・か・・・ね~」と同意なのか疑問なのか反論なのかよくわからない相槌を打ってしまうこともあるが 苦笑)これは簡単なようで、一般的に波風立てることを好まない、議論を好まない日本人には非常に難しいことであると思う。この点に関して自分は、正直だな、という自負がある。
 だいぶ、話が広がってしまって、うまく結論に持っていけるかわからないのだが、結局、「自分の言葉」で話すには、自分の中にあるぼんやりとした想いでも、周りから吸収した考えでも、自分自身が納得して、自分のモノにすることが必要不可欠だと思う。「自分の言葉」とは、自分の中にあるモノが、「外に出てきた形あるもの」だから、そもそも自分の中に伝えたいモノがない人間には、「自分の言葉」で話すことができない。君たちはまだ、そーゆーモノがない人もたくさんいると思う。だから、いかにも誰もが言いそうなことを言ったり、安易に何かを決めつけて、言葉を発してしまうのだろう。(だが、僕は君たちのヒラメキや思い付きの発言を否定したりするつもりは毛頭ない。それはそれで非常に新鮮で大切なモノだ。)自分の言葉を持つには、もっともっと色んな人や考えに接して、それについて、納得しようと考えることが必要だ。それは、第1稿で書いた「出会い」を大切にするということにもつながる。
 自分の中に、納得ずくのある想い、考えが持てた時、ビビッたりせず、責任を持って、「自分の言葉」で、発して欲しい。

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※今回の写真は去年3月にアンコールワットに行ったときに撮った、カンボジアの子ども達です。

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コメント

いとぅ~ こすけ 様へ

正直だな!
そーなんよな。
怒られ続けるのがめんどい。確かにそーや。
どーせ論理的に反論したって、わかろうとする気のない人に言っても無駄やしとか思ったりね。
そーすると、内心納得して無くても、わかったフリをする。
それはそれで、無駄に長引かせないためには、合理的な判断と言えるね。

その時に、でもやっぱり言わざるを得なくて言ってしまうのか、黙ってやりすごすのか。これは一概にどっちが正しいとも言えないし、どっちが良いとも言えないと思う。
結局のところ、それは性分によるのかな~と思うけど。
僕は言うのが正しいと思ってるわけじゃなくて、言わざるを得ない性分で、言うのが正しいと思いたい、自己肯定したい性分なんだろーなと思います。

2009/01/16 (Fri) 23:16 | joe #uxYHNhu6 | URL | 編集
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2009/01/15 (Thu) 01:14 | # | | 編集

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