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#22 ロンドンの集大成として-individualism(個人主義)

今回はロンドン最後とゆーことで、死ぬほど長くなった。
この9ヶ月、的を絞って深くモノゴトを考えた。
より大人な人には当たり前のことかもしれない。
でも今の僕にはこれだけ成長できたという想いがある。
その結果です。


「空気読めよ」
今まで何度と無く言われてきた言葉。
大学の頃は、「あほー、空気は読んでるけど、あえてシカトしとんのや!」と吠えて、場の雰囲気に敢えて従わないのを楽しんでいた感はあるけど、ここ1~2年はこの言葉を聞くたびに、言われるたびにこの言葉が嫌いになっていく。

何故ならこの言葉は、極めて日本人的な集団主義を基に置いているよーに思えるから。
集団の和を大切にすると言えば、聞こえはいいけど、個人の考えをないがしろにしているよーにしか思えないからだ。

「~~~キャラ」
僕の場合で言えば、間違いなく問答無用に、「いじられキャラ」であるが、正直この言葉も僕は好きではない。
理由は同じ。
やはりこれも集団とゆーものの中から生まれてくるものだと思う。

特に、新しい出会いの時に、僕はこれがすごい障害だな~って思う。
僕は人生で、一番大切なのは出会いだと思う。
人との出会い、文化との出会い、自然との出会い、なんでも未知なものとの出会い。特に人だけど。
その出会いにおいて、自分は相手、相手は自分を「~~~キャラ」とゆーある種偏見がかったフィルターを通して見てしまうのは非常に損だと思う。
やはり人との出会いは、1対1。
群れてはいけない。
これが基本。

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僕は、ロンドンに留学することを決めた時、特に二つのことを学びたいと思った。
一つはもちろん、具体的な力としての英語。
もう一つは、個人主義。
日本では発達しなかった、そして残念ながら今でもあるとは思えない個人主義。
その発祥の地であるヨーロッパで、色々な人と出会いながら、個人主義を吸収したいと思っていた。

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日本の教育界では、今、個を大切に、個性を伸ばせともーとにかくやたらめったら叫んでいる。
試験のためだからしゃーねーなーと思いつつやっている文科省なんかが出す教育関係の文章を読んでいても本とによく目にする。

僕はまだ実際の教育現場に立ったことがないので、現場の教師がどのように考えているか知らないのだが、まーちょろっと聞くところによると、まるっきり考えていないか、逆にそれを考慮に入れた結果、個性とは名ばかりの生徒のわがままに振り回されて、言いたいことも言えなくなっているのではという批判的な目で見ている。
もちろんこれは実際に見たわけではないので、所詮僕の嫌う偏見。
これは僕が実際教師になってから確かめなければいけないことだ。
でも、まー、当たらずとも遠からずっぽだけど・・・

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ま、そして、ロンドンにいる9ヶ月の間に、僕は「真の」と言ったらちょっと大袈裟だけど、個人主義を獲得できたのではないかと思っている。

僕の考える個人主義。

場の雰囲気、他人の考えに流されることなく、自分の意見を持ち、行動すること。が、同時に、他人の意見を、それが自分と相反するものでも、認めること。
付け加えれば、別に歩み寄らなくたっていー。
違うんだったら、わざわざ無理して、空気合わせて、窮屈な思いするよりも、それぞれの考えを大切にしたらいー、自分のも、そして相手のも。

これが、わがままや利己主義と似ているようで全然違うところだと思う。
日本では、この違いが単純なことのようで、混同されがち。
わがまま言ってる若い奴を、かちんこちんのおっさんがもっとわがままに打ちまくってる。
よくある。

個人を集団の中の、ではなくて、それぞれ個人として見たい僕の考えからすると、こーやってまとめてしまうのは嫌だけど、一人ひとり言ってたら埒明かないので・・・結局まとめると、ヨーロッパの人間は、個人主義を自然に獲得できているな~と思った。
もちろんみんながみんなではない。
僕が出会ってきたのが、主として、18~20代前半の奴等が多いのが原因かもしれないが、自分の言いたいことだけ言って、人の話全然聞かない奴いっぱいいた。
また、しゃーなく概して言うなら、フランス、スペイン、イタリアなど、大陸側の人間はそーゆー傾向は強いように感じた。

確かにわがままである。
自分は自分、他人は他人の極端ver.

でも集団の中に紛れて、はっきり言えばビビッて、また他人の目を気にして、自分の意見を言えないよりいーんじゃねーか。
彼らはこれから成長していくにしたがって、個人主義を獲得していくのだろう。
余談だが、そーゆー彼らが、学校のディスカッションの授業になると、口をそろえて、つまんない月並みな意見ばかり言うのはなんででしょ~ね~。
あー不思議。

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でも、それ以上に、僕はこの9ヶ月の間に、僕の考える個人主義を持っている多くの人間に出会った。
僕は自分が深く思っていることを英語でうまくあらわせず、しょっちゅうもどかしい想いをしていたけど、彼らは真剣に聞いてくれたし、彼らと話すのは、とても楽しかった。
彼らとの出会いは、僕の宝になった。

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そして、もー一つ。(つーかとてつもなく長ーな・・・ま、9ヶ月分だからしゃーねー。下がってろい。)
これは、ロンドン留学前、1年半の鬱の頃から訓練していたことだけど、人やモノゴトを真っ直ぐな、偏見の無い目で、言い換えればニュートラルな目で見るとゆーこと。

人の悪いところを見つけて、反面教師にすることはやめ、どんな人間でもいい部分を見ようと努めてきた。
反面教師とゆーのは、やはりその人を批判的にとらえて学ぶことだから、ともすれば相手の悪い部分ばかり見えてきてしまう。

このニュートラルな目の獲得、元々人のアラ探して笑いを取ろうと思ってる人間だったから、非常に難しかったし、常に自分に言い聞かせなきゃいけないので、逆にかたーくなってしまったりして、もっと楽に自然に見なきゃと思うこともよくあったが、この9ヶ月で磨きがかけれたと思う。

その上で、相手の良いところを見つけ、吸収し、同時に甘いところ、悪い部分てのを見つけるのは、決して悪いことではないと思うようになった。
偏見のない目で見ている限り。

もちろんまだまだ。
気分によって見方が変わってしまうこともよくあるし。

ニュートラルでいながら、でもしっかりとした基準を持ち、でももっとやわらかく。
矛盾してるよーで・・・うん?やはりしているのか?
いや、そーゆー見方をいつかはできるはず。

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前も書いたが、こーゆーことをいつも考えていると、茶番ができなくなってくる。
とりあえず楽しく、笑いがあればって感じじゃなくなってくる。
そーなりたくねーな~とずっと思っていて、でもやっぱりそーなってきてる。
普段はチャラチャラふらふらしてんのに、言う時はバシっと自分の考えを、自分の基準で行動を、が理想だったけど、まだ無理。
周りから見たら、チャラ男かもしれんがね・・・ま、周りの目は関係ない。

理想通りにできるほど、器用な人間ではない。
今は茶番できなくてもしゃーねー。
わかってもらえなくても、自分の基準を貫いて自分の想う高みを目指さねば。
その中で分かってくれる人、認めてくれる人に出会えれば。
本とはみんなに認めて欲しくてしょーがないんだけど・・・それがまだ自分の弱さ。

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僕が自分の中で変われた、そしてこれからも変わり続けていけると思えたのは、死ぬほど好きだったダイビングができなくなったこと、ちのとの別れ。
それに伴う長い鬱。
あの大きな挫折があったからだ。

そして苦しい沖縄生活の中で出会えた人たち。
1年間勤めた、名護高等予備校の輿石先生。
読谷のゲストサロン、life is a journey の宿主、市川さん。
尊敬するダイバー、松下さん。

彼らはそれぞれ全然違う。
性格もバックグラウンドも話し方も、僕が想像している本質も。
でも自分の基準があった。
真の個人主義を持っていると思った。
ものすごい洞察力を持っていた。
馴れ合いで人と付き合わなかった。
そして人生を超楽しんでいるよーに見えた。
とにかくかっこいー大人だった。

僕はロンドンに来る前に、この人たちと会えて本当に良かったと思っている。
彼らは歳も全然違うし、これから目指すところも全然違うだろー。
当然僕のそれとも全然違う。
でもあんな大人になりたいと心から思う。

まだ僕には、これだとゆー自分の基準も持ちたいけど残念ながら一部にしかないし、信念もない。
僕の定義における信念なんてまだ全然いらない。
常に考えは変わっている。
同じモノゴトに対する考え方も1週間でガラリと変わっていることもザラだ。
人によってそれが矛盾だとか一貫性がないとか言う人もいるけど、僕はそれを肯定的に見ている。
常に色んなことを吸収し、いい方向に変わっていっていると思うから。

そして、ちの。
付き合ってる時は全然気づかなかったし、むしろ俺の方が大人じゃね?とか思ってたけど、彼女は自分を持ってる大人だったんだなと今になってようやく思う。
俺が俺の考えるようにちのをさせようとしていただけなんだなと。
アフリカの地で、あと1年、自分のために、現地の人たちのために、頑張って欲しいと思う。
さらに素晴らしい大人になれると思う。
女性として歳はそろそろやべーんじゃねーかと少し思うがよ・・・^^

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ロンドンで僕は、内面的に多くのものを学べ、獲得できたと思う。
とは言え、う~ん、来る前こんな偏屈だったかな~と思う部分もあるし、本とにいー方向に進んでんのか?と不安になることも多々。
特に最近。
あの自信はどこへやらと。
毎日笑いながら、でも一生懸命に過ごしていた日々はどこよ!?と。

ここまで書いといて今更的だけど、なんかしっくりこない。
正直精神状態はあんま良くないと思われ。
文章読み返しても妙に刺々しいよーな気がする。
気だけど。
気のせいか。

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それは、(あー長い、酒で頭いてーし。もー朝7時過ぎてるし。こんな長けりゃ誰も読まねーな。つっても別に人に読ますために書いてるわけじゃねーからいーけど。でも分かって欲しい願望はやはりあるので読んでもらいたくもあり・・・)手に入れられたものの陰にある、手に入れられなかったものが原因。
手に入れられなかったもの。

具体性。

人と接し、じっくり考えることで、紆余曲折を経たにせよ、内面的な成長はできたと思うが、具体的な英語力はとても満足のいくものではなかった。
それこそが僕の本来の目的であることは重々わかっていたし、獲得すべきものと言い聞かせていたが、途中でだれてしまったことは否めない。
アメリカの大学院進学も今年はあきらめた。
自分の力では、たとえ入れたにせよ、ついていけないことは明白だから。

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内面も具体的な力と相互に補完し合ってこそ。
具体がなければ、所詮口だけとなってしまう。
輿石先生は、色々考える前にとにかくひたすら問題をぶっ続けで解いたと言っていた。
僕にはその頑張りが絶対的に足りない。

もー一度ちゃんと前を見て。
原点に戻って。
でも、もーそろそろ僕はあの挫折を忘れるべきなのかも知れない。
いつまでもあれにしがみついていたら、さらに前には進めない気がする。
あれ以来、僕はでかい挫折を経験していない。
そりゃ確かに凹むことも悩むこともなる。
でも、あれ以来、精神的にとても強くなれたから、くよくよすることもなくなったし、切り替えが早くなった。

でもそれと挫折とは違う。
挫折とは、本とに何かに打ち込んで、それが成し得なかった時にだけ経験できることだ。
一心不乱頑張った者だけが経験できる、ある意味、ご褒美だと思う。
ご褒美のくせに、目茶目茶辛いけど。
でもそれを乗り越えたとき、また一つ大きくなれる。
挫折を目指してやるわけないけど、挫折来いや!ぐらいの気持ちで、人目を気にせず、恥かいて頑張らなくてはいけない。

朝から晩まで英語漬け。日本に帰ったらやろー。
思いっきり間違いを犯していますが・・・・
ロンドン生活あと1週間。とりあえず恋をします。
どーにかしてくれ、この恋愛体質。
こっちの方は成長望むべくも無く。

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あ、そーだ。
ミスチルを聴こう。
鬱の時、こっちに来た当初、ちょっとへこたれそうになるといつも聴いていた。
いつの間にか聴かなくなってたな~。
僕は桜井とゆー人は、深く人生を考えて、分かっている人だと詞を読んで思う。
終わりなき旅、not found、掌、未来、ランニング・ハイ・・・

んで、井上雄彦。
スラムダンクからバガボンド。
彼の書く台詞を見ていると、おこがましいけど、彼自身の成長が見てとれる。
前もblogに無断転載したけど、僕が感動した彼の言葉、もう一度書いてみよー。

「人は
 まっすぐにものを見る眼を持って生まれ
 後天的に獲得した斜めに見る眼をもてはやし
 いつかまた手放していく
 ならば早く手放した者勝ち
 そうすることが難しいこの世ではあるけれど」

そして、今や僕のバイブルとなった漱石の「私の個人主義」から僕の好きな一説を。

「もし貴方がたのうちで既に自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、また他の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んでいく人も悪いとは決して申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり付随しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てる所まで進んで行かなくっては行けないでしょう。行けないというのは、もし掘り当てる事が出来なかったら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。私のこの点を力説するのは全くそのためで、何も私を模範になさいという意味では決してないのです私のような詰まらないものでも、自分でじぶんが道をつけつつ進み得たという自覚があれば、あなた方から見てその道がいかに下らないにせよ、それは貴方がたの批評と観察で、私には寸毫の損害がないのです。私自身はそれで満足する積りであります。しかし私自身がそれがため、自信と安心を有っているからといって、同じ経路が貴方がたの模範になるとは決して思ってはいないのですから、誤解しては不可せん。
 それはとにかく私の経験したような煩悶が貴方がたの場合にもしばしば起こるに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当たるまで行くとゆう事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは初めて心を安んずる事ができるでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。既にその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があれば、どんなに犠牲を払っても、ああここだという掘当てる所まで行ったら宜かろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方の御家族のために申し上げる次第でもありません。貴方がた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。
 もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。―――もっとも進んだってどう進んで好いのか解らないのだから、何かに打つかる所まで行くより外に仕方がないのです。私は忠告がましい事を貴方がたに強いる気はまるでありませんが、それが将来貴方がたの幸福の一つになるかも知れないと思うと黙っていられなくなるのです。腹の中の煮え切らない、徹底しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠(なまこ)のような精神を抱いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないか知らんと思うからいうのです。不愉快でないと仰ればそれまでです、またそんな不愉快は通り越していると仰れば、それも結構であります。願くば通り越してありたい私は祈るのであります。」

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僕にはまだまだ進むべき道があるし、漱石が言うように、掘り当ててもー俺満足ってことにはならないだろう。
でも一つずつ確実に前に進みたい。
目の前の目標に打ち込み、何度も挫折を経験することが、結局は一番近道?で成長できるような気がする。

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今回はロンドン最後ということでとんでもなく長くなった。
僕はやはり文章にしないと、ちゃんと自分の中で整理できないみたいです。

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最後にロンドンで出会った友達を一人紹介。

鎌塚元夢(かまつか もとむ)21歳 フォトグラファー
MIXI名は tom

写真の腕もさることながら、まだ21なのに(歳はただの数字だけど)、自分の明確な基準を持って、独立独歩で生きている人間です。
たまに見せる末っ子気質なわがままさや、平気で人(俺)を傷つける辛辣な言葉もあるけれど、それ以上にわき目も振らず真っ直ぐとにかく真っ直ぐな感じを、僕は認めているし(彼は俺のこと認めてないけど)、応援しています。
これは勝手な俺の洞察だけど、時々、発言の中に野心や、俺をもっと認めてくれといった想いが見え隠れするのも、なかなか可愛いです。
彼は決してそーゆーことを声高には言わないけど、やっぱそーだよな~って共感します。(俺には、このレベルの違いを見ろ!と声高に威張ってくるけどな。)
写真家なんだし、他人に認めてもらわなきゃ話になんないわけだし。

会ってすぐくらいの時に、彼は「ジョー君にはなんか似た空気を感じるんだよね~」って言われた。
ま、俺はまだあんまりモトムのこと知らんかったから、あーそーかね~、わかんね~なーと思って何も言わなかったが、今は嬉しく思います。
ただ今彼はもー僕のことを似ているとは思ってないでしょうね。
僕の怠惰な生活ぶりを見て、彼はやっぱちげーかもと思ったんだろーと勝手に想像する。
それが原因かどうかは知らんが、それからガッツリ仲良くなることもなかったし、サシでじっくり話すということもなかった。
話すことねーし!とかズバって言うし・・・まじ一刺しだわ。
僕は彼とじっくり話せなかったのが、非常に残念で心残りではあります。
もっと彼の考え方も知りたかったし、僕の生き方というのも伝えたかった。

ただ認めているからこそ敢えてお節介がましく厳しいことを言わせてもらえば、彼は自分の基準を持っているからこそ、他人というものをあまり気にしない気がする、もっと他人にも真剣に眼を向けて、その人間の本質を洞察しよーとして欲しいと思う。(俺をもっと見ろ、そして認めろと強い気持ちを込めつつ・・・w)。彼が写真を撮るときしているよーに。

僕は彼の写真とても好きです。
彼が言うように、日常を切り取るという彼の写真、ちょっと「切り取る」の意味が変わってくるけど、特に空間の切り取り方は素晴らしいと思う。
最近陸撮を始めた俺はとても勉強になります。

仕事柄いろんな人間に出会っていくだろうから、もっともっと色んなことを吸収してでかくなってって欲しいと思う。
願わくば俺とも再会を。

彼のサイトを紹介。

TOM'S DIARY
http://blog.livedoor.jp/tomtom0522/?blog_id=1695135

fotologue
http://fotologue.jp/photomlogue

近々自身のホームページも公開予定のよーだ。

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輿石先生に「他人の評価を気にせず、一人でじっくりやってみなさい。自分に対する誠実さを持って」と約1年半前言われた。
僕はあの時、自分がふがいなくて、どー生きればいいか全然わからなくて、先生の前で大泣きしてしまった。

今も何がゴールかなんて全然わかんないし(ないんだろうけど)、どー生きるのがいいのかもぼんやりとしてくることもある。
昔に比べたら全然気にならなくなったとは言え、やっぱり人の評価は多少気になる。
でもあの時より僕は格段に成長できたと思うし、これからの目標もある。
内面も具体も身につけて、人(そして元夢)が認めるよりも、自分が認めれる自分になりたいと思う。
そしたらきっと、肩で風切って歩ける。
極度の猫背だけど。
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